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イチゴ「桃薫」の栽培技術の確立(ジャグロンズイチゴ桃薫物語)

●現在の日本のイチゴ生産は施設園芸に位置する。ジャグロンズの農業スタイルは、セル成型苗を用いた移植栽培を基盤技術とする露地野菜生産である。そんな中で、イチゴ「桃薫」の栽培はどうしてもやりたいとの藤原の独断で着手した事業である。研究現場と生産現場に橋を架けるブリッジビルダーとしての役割も考慮しながら、2011年度は本格的なイチゴ専業農家の1/20の規模の800株と最小規模とすることで本業を圧迫しないようつとめている。
●「桃薫」は、野菜茶業研究所の野口裕司博士が作出した平成22年発表の新品種。これまでも桃の味がするイチゴがあったがそれは小さかった。「桃薫」は大きくなるのが特徴で、桃の味のするイチゴの王様といったところ。人間野口氏に興味を持った藤原は、京都での研究所時代数年間イチゴを作った経験があったことから、少し作ってみたいと思うようになった。公的農業指導の立場にある方に少しその話をしたら、そんなにまだ作り方の確立していない品種は手を出すのを辞めた方がいいと猛反対を受けることに。それが最も一般的な考えであろう。しかし、単に生活のための農業なら、藤原が研究所を辞めてまでもする必要はない。そして、藤原に火がついた。燃えた。考えてみれば藤原は、農研機構(野菜茶業研究所の所属する組織)のフェローである。国が開発した技術を日本の生産現場で役立てる使命がある。そうして始まったイチゴづくりはその後、インフラ設備など難航を極めたが、すべて手作りでスタートした。そうして完成したイチゴハウスは、現在、2011年度の野菜茶業研究所の展示圃場としての役割を果たしている。
●本事業のオリジナリティーは、新品種「桃薫」を美味しさ重視で徹底的に作ること。栽培技術は「京都舞鶴イチゴ」の一時代を築いた、荒木誠(タカシ)氏(※1)の直伝の栽培方法を導入している。
●藤原の「夢」は、車のエンジンに見立てた品種「桃薫」にシャーシ・ブレーキ・ボディー等その他の車のパーツ(インフラの主要な資材はすべて荒木氏の使っていたものを譲り受けた)に見立てた「荒木の舞鶴イチゴ」栽培技術を合わせることで、車を完成させ、そして「楽しくワクワクするドライブ」をしてみせることである。すなわち、「桃薫」+「舞鶴イチゴ荒木の栽培技術」+「三重の実践農場」=ジャグロンズの「フラッグシップ商品」を作ること。たぶん完成した暁にはそれは「桃薫」と呼ばないであろう。「桃薫」は、車のエンジン、またはパソコンのCPUに当たる位置づけだから、intel inside ならぬ「桃薫」insideといったところか。
●農業はアートである。藤原はそう考える。ビジネスは、人に任せる者が優位に立つ。しかし、アートはアーチストがその先陣にたたねば良いものが出来ない。ジャグロンズは、商売が下手であるといわれる。それは当然だ、商売人がはじめたビジネスではないのだから。ビジネスは「プロダクト・アウト」よりも「マーケット・イン」がうまくいくとある有名農業企業の社長がいっていた。しかし真のアートは、「プロダクト・アウト」である。藤原の農業は、お金を残すことが最も大切なのではない。生産現場に立ちながら、一技術者または一農学者として日本の農業に、何を残せるかが最大の関心事なのである。
●イチゴ「桃薫」についての農研機構からのプレスリリース↓
http://vegetea.naro.affrc.go.jp/press/20100204/20100204.pdf
※1 藤原と荒木誠氏との出会いは、藤原が京都府綾部市にある近畿中国四国農業研究センターに勤務していた8年前に遡る。全く同じ品種なのに研究所で作ったイチゴと荒木氏のイチゴでは、味が全く違うのに藤原は驚いた。作り方でこれ程変わるのかとびっくりした。青天の霹靂であった。その体験は後の「益荒男ほうれん草」を生み出す信念にも繋がる大きな出来事であった。その後、藤原と荒木氏は年に数回のつきあいを重ねた。平成16年秋、舞鶴イチゴは、由良川の氾濫による未曾有の大水害で大きな被害を受け、荒木氏の同志であったイチゴ生産者は高齢化もあって軒並み廃業。藤原は一昨年、80歳を越えたのでイチゴをやめようと考えている。と荒木氏に打ち明けられ、誰か代わりに生産を引き継ぐ人がいないか探した。しかし、なかなか条件に合う人がいなかった。荒木氏の人柄に惹かれ藤原は本業を忘れて生産者になった後も三重から何度も会いに行った。そして、野菜茶業研究所で新しく発表された「桃薫」と出会い、この品種を荒木氏直伝の栽培技術で作ってみたいと思うようになる。話はちょっと脱線するが、桃薫の生みの親、野口裕司博士は、東京下町育ちの面白い人物である。新品種のイチゴが多い中、藤原が「桃薫」を作りたいと思ったのは、「桃薫」そのものの魅力と「野口博士」の魅力の半々である。良いモノには、SSF、すなわちスペック、ストーリー、ファッションの3つが必要であると伊勢丹新宿店の村山氏が教えてくれた。それが「桃薫」には見え隠れしていたのである。話を戻して舞鶴イチゴ。冬の日本海側和は、決してイチゴづくりに向いた土地とはいえない。その中で、他産地のイチゴに引けを取らない高品質イチゴを作るのは、荒木氏の技術以外のナニモノでもない。荒木氏は、常に市場からトップの品質を評価される生産者だった。藤原はその荒木氏から直々に指導を受けることになったのだ。篤農技術は草簡単に継承できるモノでない。藤原は、それを承知で、日本の宝である先達の篤農技術を記録に残したいと考えている。聞いて書きつづること(インフォメーション)は藤原でなくとも出来る。しかし、聞いたことを実践しそれに吟味を加えて後世に残すこと(インテリジェンス)は藤原にしかできないと思うのである。

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2011年12月25日 07:44に投稿されたエントリーのページです。

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