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「陸の孤島」

●秋田での生活も2ヶ月半となった。この間、いろんな方とお会いし交流を深めることが出来ている。
●そこでひとつ気になる言葉がある。秋田は「陸の孤島」だから・・・との表現。もちろん、良い意味で用いられているのではない。「わたしは雨女」「僕は雨男」的な用法。このような考えは、負のスパイラルに陥りそうで、よろしくない。このような思考の人とは、距離を置くか、自分のエネルギーで相手の思考に変化を加えさせていただくしかない。ただし、相手の思考を変えることはかなり無理が有ると思う・・・
●「陸の孤島」、、、江戸時代、鎖国政策をとっていた日本はまさに「孤島」であった。しかし、孤島であったからこそ、独自の文化を発達させることが出来、この文化的産物は、文化力を誇るフランスからも高く評価されることになる。
●もし秋田が「陸の孤島」であれば、何か他のすばらしい文化が見つかるはずである。「陸の孤島」は、何か宝物が隠された「宝島」でもあるような気がする。秋田県民のみなさん、みんなで宝物を探そうではありませんか!!

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■コメント (1)

匿名:

農事多忙のご様子、何よりです。
以下、昭和30年代の論文だそうです。ネットでみることができます。

東北的なもの
「いわゆる「畿内型」に対して、「東北型」が、東北の後進性の別名のような形で問題になるのは、近世以降だといってよい。近世の封建社会、特にその農村の構造を分析するにあたり、東北農村の構造的ゆがみ、立ちおくれが注目されるようになって、畿内型先進地帯に対して、東北型後進地帯の歴史構造が問題にされるようになったのである。近代化を妨げ、現在のおくれを規定しているのも、そのゆがみであると考えられているのである。

しかしわたくしは、日本の歴史そのものの成りたちからいって、東北型後進性の問題は、日本全体のなかで、もっと構造に深い意味を持ち、また歴史的にも長いいわれを持ったものであると考えるのである。たしかに近世や近代では、近世的な後進性、ないしは近代的な東北性が問題になるだろう。しかし、近世・近代で問題になるのは、かならずしも近世的ないし近代的なものばかりではない。東北型後進性の本質は、歴史とともに古いある基本関係が、近世や近代でも、問題として現実的であるところにある。

いったい、近代とは資本主義社会である。東北は、その立ちおくれのために、近代における後進地域になっているといえるであろう。それなら、日本でそのような資本主義が阪神・京浜・中京・北九州を中心に、というよりそこにだけ集中的に成立したのは、なぜであろうか。簡単にいえば、そこは、むかしから政治・経済・文化の中心であったからである。そうすれば、その他の地域、なかんずく東北のおくれは、むかしから、政治・経済・文化のどれにも恵まれていなかったことにもとづくというよりほかない。

むかし、というのは、さしづめは、戊辰の役にあたり、東北が「皆敵」となり、政治的・経済的に壊滅的な打撃をうけたところで近代に入った、そういうくだりから説きおこしてもよいであろう。けれども、すでにのべておいたように、そのような政治の選択そのものが、実は過去を背負っていたのである。

ところで、その「過去」というのが、凶作・飢饉に大きく規定された社会的・経済的そして政治的なパニックだったとするなら、それは、はたして封建時代の生産様式や生産関係から説明さるべきものであろうか。わたくしは、それは、封婬支配のもとで集中的な矛盾をあらわすようになった東北型農耕様式の問題として、とりあげらるべきもののように考える。アジア的生産様式ということばがあるのであるが、わたくしは、東北的生産様式というようなことが、ここでは問題になると思うのである。それは、東北にとって、水稲農耕は、両刃の剣であるということの論である。

水稲農耕は、東北にも文明をもたらした「幸福」の神であるが、他方でそのことのゆえに東北に破滅をももたらす「悪魔」でもある。それは、西南日本においては、全能の幸福神であったであろうが、東北のような寒冷地帯においては、きわめて限定された幸福神であったのである。それにもかかわらず、歴史的に、これを限定された神と考えて、その限られた部分を、他の神でおきかえる方法も考えられず主張されないまま、それが東北でも唯一の神聖権威としてあがめられ、強制されて、東北の開明化・中央化が、そのもとにおしすすめられてきたのである。そして、西南日本的な生活・文化を築きあげうる限りにおいて、それは、たしかに開明をもたらしたのであるが、それが限界を越え、あるいは本来適合しないにもかかわらず、なおかつ唯一の道として強制されるという状況が極限に到達して、ここに、近世の決定的破局がおとずれるのである。

「東北型」といわれるものの構造なり本質なりはこうして、単なる自然的な必然としてのものでない反面、たかだか封建時代の政治やしくみから考えられるような性質のものでもない。この風土においても、唯一の生産・文化の様式は、西南型のものでしかありえないとする認識・選択・強制こそは、いわゆる「東北型」の本質をなすものである。それは発生的に反自然的な歴史構造であったにもかかわらず、この選択・強制を通して、東北に第二の自然であるような生産様式をつくりだした。「東北型」というのは、経済上、このような生産様式についていうのである。「東北的なもの」というのは、そのような生産・生活の場における自然と反自然、幸福と悪魔の対話であるといってよいであろう。

本論「みちのく」は、ちょうどこの到達点から出発する。歴史とともに古く、そして歴史とともにくりかえす「東北的なもの」の本質―「みちのく」は、そういうものについて題されている。」

ご自愛専一にご精励ください。皆様によろしく。



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2009年08月01日 23:01に投稿されたエントリーのページです。

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