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「宗教」「常識」「直感」

マイミクさんの日記に哲学的な日記があったので思わずコメントしてしまった。「宗教」「常識」「直感」というのものが含まれる文章であった。
コメントの概要は下記のとおり↓。
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◆学生時代、宗教と哲学の違いを本で読んだことがあります。信仰とは、神の存在を肯定するもの、哲学は考え方そのもの。つまり「宗教」−「神の存在」=「哲学(宗教哲学)」と理解しています。○○さんは、自然の中にどのような「神」的なものを感じますか?
◆また、「常識」というのも深い言葉です。自然を相手に生きている私たちジャグロンズからすると、「常識」は、あってないようなもの。そもそも、常識は、人が造った「枠」のようなもの。ここから解き放されることが、「自然に生きること」に繋がるような気がします。時には枠にはまり、そして時にはそれから解き放たれる。意識的にそれが出来たらすばらしいと思います。
◆実は、私はその方法が、禅の中にあることを座禅を通して感じることが出来ました。
◆そうそう「直感」も非常に大切、何が大切っていうと、悩まなくていい点。直感で進むことは良いことだと思います。もし、そのことに対して他人に間違っていると批判されても、自分で決めた方向なので、無理矢理にでも良い方向に持っていけると思うのです。「ポジティブ・シンキング」、これがあれば、「直感」に基づく行動は間違いなく人生を良い方法に導くと思います。
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★物事を真剣に考えるってすばらしいことですね。そして、文字や言葉にするのもすばらしい。それでは。


主観と客観

●「人にどう見られているか気になる」。そんな、相談を受けたことがある。これは、誰でも多かれ少なかれ感じたことのある体験であろう。
●人は、鏡である。自分が思っているよりももっと的確に、自分を捉えてくれる鏡である。ただし、ちょっと注意が必要。鏡から見える自分は必ず左右対称である。人に見える自分とは違うのである。鏡をそのまま鵜呑みしてはいけない。
●案外、人は、自分のことを自分でわかっていない場合が多いのではないか?。最近、私は自分のことを余りよくわかっていないのではないかということに気づいた。これは「無知の知」にたどり着いたことを意味するのかもしれない。
●自分の思う自分の姿(主観)と鏡に映る自分の姿(客観)をうまく、すりあわせて「ジュンテーゼ」的なものにたかめていくことが、正しい自分を知るための最善の方法であるような気がする。このすりあわせの工程では少々「プラス思考」かつ「未来的」なスパイスを効かせるのが「ミソ」である。


「意識出来る無駄」は「無駄」ではない

人生誰でも1日24時間割り当てられている。しかし、一日の濃さは人によって違う。●私は高校生の頃に一度、自転車で真正面から車にぶつかっていったことがある。そのときは、まさに短期間の間に記憶が「走馬燈」のように進んでいく経験をした。脳の活性化で時間の感じ方は違うようである。これはアインシュタインの世界に通じる物なのかもしれない(笑)●ところで仕事において、無駄が排除すべき要素であることは言うまでもない。しかし、無駄はなかなか意識できない、意識できないから排除できない。これが無駄の無駄たるゆえんである。意識して敢えて無駄を実践すればそれはもはや無駄ではない。無駄の向こうにある何かを見据えた行為であるといえる。●今私たちが取り組んでいる作務(農作業)は、無駄を意識して取り組むことでその向こうにある大きな価値を掴むことが出来るのである。
ジャグロンズ 藤原隆広


単純化の必要性B

●年賀状をだす習慣、数年前からぴったりと辞めてしまった。それは、激動の人生の中で自分の仕事が一杯一杯であったときのように思う。●それは「やらなければならないこと」−「処理できること」がプラスになった瞬間でもあった。尤も、この場合は「やらなければならないこと」が増えたのではなく、やるべき項目が増えすぎて、自分自身の「処理できること」(能力)が量的に激減してしまったことによる。それともう一つ、あの頃は、心のモチベーションを高く保てなかった。●図らずしも生活習慣が単純化して見えてきたこと、それは、年賀状を出して返ってこなくても、出し続ける人がいるという事実である。東京の「松平」と言う男がその人である。私はその行動の中に一つの哲学を感じてしまった。●年賀状を出すことは、無駄なことではない。単純化を意識しながらまた何かのきっかけを機に始めようと思う。


単純化の必要性A

●「やりたいこと」と「やれること」。自由に自分の人生を選択できる現代では、ややもすると理想と現実のギャップに苦しむことが懸念される。●すなわち、「やりたいこと」−「やれること」がプラスになると、それらは実現可能なものから夢物語に変化する。自分で期限までに実現できない「やりたいこと」は夢である。●しかし、夢を持つと言うことは悪いことではない、情報化社会の中で人との出会いの頻度が従来よりも格段に増えた現在、夢に共鳴する仲間が現れて、それが実現しうることも十分にあるからである。●夢を持ちつつも、心を鎮めた状態で、自分で「やれること」、いや自分が人よりも得意なことををシンプルにあぶり出し、それに集中することが、しいては夢の実現につながるような気がする。


単純化の必要性@

●情報や物があふれる現代の生活の中では、ややもするとそれらに埋もれてしまうことが懸念される。●すなわち、「入ってくる量」−「整理・整頓できる量」がプラスになると、それらは価値のある物からゴミに変化する。●必要な時にすぐに活用できない情報はゴミである。埋もれると言うことは、かなり複雑な状況の中に身を置く状態を意味する。●便利で豊かな時代の罠、それは知らず知らずに「ゴミ」に埋もれているという状況である。


坂の上の雲から

●「坂の上の雲」というテレビ番組で、「あんなに強大な清国の軍隊(海軍)に我が国はかなうのでしょうか」との本木雅弘の問いかけに、渡哲也がこう答える「いくら大きな軍艦でも中に乗っている船員が、あのような堕落した状態では、さほどの力も発揮できないだろう」。
●はじめから大きな、組織は、一つ一つの構成要素がおおざっぱになっている場合が少なくない。小さい組織は、無駄を省き効率的な筋肉質の組織作りがしやすい。大きくて贅肉のある組織を筋肉質の組織にするのは難しい、一度楽をしたスタッフを、厳しく鍛え直すことは極めて難しいことである(かつてのサラリーマン生活の中で、労働組合的視点から組織の効率化スリム化に適応できずにメンタルヘルスを崩した労働者を数多く見てきた経験からそう確信している)。これに対して、完成したコンパクトで筋肉質の組織をもう一つ増やすことは簡単なことである。
●ビジネスは、血を流さない戦争である。失敗したからと行って命を奪われるものでもない。そういった点では、真剣勝負のゲームとも言える。ゲームを楽しむには、最強の組織を作って戦いを勝ち抜くことが必須である。
●組織として機能する最小の単位。これを定義して筋肉質のチームを作る。これを倍々にコピーすることで強大な組織を作ることが出来ると考えている。今は、最小の単位で如何に完成された1ユニットを作り上げるかが我々ジャグロンズのテーマである。日々の活動の中で、手応えを感じている今日この頃である。


教育について

●学校教育の意義、それは、@学力を付けること(基礎学力)、Aやりたいことを見つけること(主体性)、B競い合いの環境で自分を高めること、C自分の個性を発見すること、などがあげられる。
●自分が、何がやりたいのか。何をやるべきか。それを明確に意識して生活している人(学生)は案外少ないように思う。
●自分が何をやりたいのかを意識するのは本人の心構えだけによるものではないようにも思う。生活環境や生い立ち、時代背景などの外的環境が本人の気づきを促すような気がするのである。
●たとえば僕の場合、大学に行く予定ではなかったが、無性に生物学を勉強したくなり、親の反対を押し切る形で進学した。ただし、希望の理学部は叶わず、農学部に入ることになる。理学部にはいるための勉強は、農学の分野でも大いに役立ったが、学問へのモチベーションは、少し低下していたような気がする。
●そこで、自分のモチベーションを高めるのに役立ったのが、貧乏学生という環境。僕は4条半の風呂なし2万円のアパートで暮らし、日本育英会の奨学金を活用して勉強していた。この環境が、僕のハングリー精神に火をつけた。もとを取ってやろうという気持ちでどん欲に勉学に勤しんだことがかつての職業研究者の道を開いたように思う。
●あの当時の一人暮らしは、自分と正面から向かい合う良い機会であった。一人暮らしの中で、僕は主体的人生の第一歩を踏み出すことが出来たような気がする。日々の生活の中で、自分のやりたいことが見つかることっていうのはすごく幸せなことだと思う。
●子供たちの教育の中では、個々にやりたいことを見つけるための手助けをしてあげること。それが、学校教育のなかでの一番大切なことのようにも思う。
●母親は、子供のことを考える際、学力を気にする傾向が強いように思う。しかし、誉められるための勉強は子供にとってそんなに良いものではないように思う。主体的に学ぶ姿勢を身につけさせるためには、やりたいことを見つけることが一番だと思う。子供が何になりたいのかを見つけるきっかけになるのは良くも悪くも父親の存在であるような気がする。


寒くなりました

最近めっきり寒くなりました。朝布団からでにくい季節です。
私には朝の習慣があります。それは、家の真ん中にある板の間廊下の雑巾がけ。朝は雑巾がけから始まります。軽いストレッチをした後の雑巾がけのあとは、体がぽかぽかします。これで、朝食もおいしく食べられるし、一日も充実させることが出来ます。朝の雑巾がけは、一日のエンジン始動のセルモーターのようなものです。みなさんは、何か朝の習慣として心がけていることはありますか?


意志疎通

●会話を通してのコミニュケーション。今日は電話を通しての会話と、実際に行動を共にしての会話の違いを感じることが出来た。仲間との、意志疎通、電話の場合は、いくら長く会話しても、相手に関する情報量が少ないために、一方的に意志疎通できてまったような気持ちになり、安心してしまうことが多かった。しかし、実際は、こちらの考えが相手に伝わっていなかったり、、、残念な思いをすることも多い。●実際に会って行動を共にしながらのコミュニケーションは、やはり違う。相手の仕草や反応を確かめながら意志疎通を図れるため、その効果が絶大であることを実感した。●私の仕事は、仲間との意志疎通を図ること。何をおいてもこれが一番の仕事である。今日は2人の仲間と個別に実際に行動を共にしながらの会話を通じて意志疎通を図ることが出来た。今日は私にとって大きな気づきを得ることが出来た一日でもあった。


台風の爪痕


10月から三重での生産活動を開始しました。ところで、今回の台風18号、安濃津の農場にも大きな爪痕を残していきました。これまでどんな台風にもびくともしなかった資材置き場の小屋が倒されました。●道を塞いでしまっていたため、解体しようとしてもなかなかはかどりません。構造が頑丈すぎるのです。これでもかと言うほどの補強がしてあります。●弱点は土台でした、土台がしっかりしていないために、地上部は必要以上に頑強でも倒れてしまったのです。●私たちも、基礎を大切にしたモノづくりをしていかなければならないと感じました。今回の台風18号は、私たちに大きな教訓を与えてくれました。


「一番鶏」になろう!!

●朝起きて人と顔を合わせた時の第一声「おはようございます」。これは、教科書的に言えば基本であり、誰もが当たり前のことと言う。しかし、なかなか、この第一声がでないことを、自覚していない人が多いような気がする。●私が高校1年生の時、入部したての陸上部で、武藤さんという主将に挨拶が不十分であるとの指摘を頂いたことがある。指摘をされるまで、本人は挨拶が出来ないとは思っていなかった。挨拶が出来ないことは、出来ない本人は案外気づいていないことが多いのである。●挨拶は、幼少時からのしつけによるところが大きいとも言われるが、そうであろうか?自分で自覚すればいつからでも遅くないような気がする。他の面で優秀な人間でも、挨拶が出来なければ、人間力の評価は半減。大人になると、挨拶を出来ないことに対して指摘してくれる人はきわめて少なくなる。読者のみなさんで、心当たりのある人は朝の第一声「おはようございます」を誰よりも早く実行してみてはどうだろうか?「一番鶏」になるような気持ちで頑張ってみよう!!


「プレイヤー」と「観客」

●今年は、美郷拠点で多くの新しい取り組みに挑戦した。具体的には以下の5項目。
@益荒男ほうれん草の生産技術提供による生産者への生産委託
A枝豆の生産(電動型半自動移植機の活用による移植栽培と直播栽培)9品種約20a
B小茄子(秋田梵天丸)の省力安定生産への取り組み(10a、600本)
C秋田県初の再生紙マルチ水稲直播栽培の取り組み(20a)
D電動型半自動移植機を活用した秋キャベツのセル苗移植栽培(10a、4200株)
●私たちは色々目立つことをしているので、いろんな方が密かに観察してくださっているようである。そして、うまくいかないところに注目して話題にしていただいているようである。「人の不幸は密の味」的な醍醐味があるのであろう。私たちの活動が話題性に乏しい地域の活性化に役立つのであれば結構なことであると思う。●一方で、新しい試みを強力に支援してくれる農家の方もいるのも事実。私たちは、3割の打率で新しい試みを成功させている。プレーヤーとしては十分ではないだろうか?私たちは「農」の現場で常に「観客」ではなく、「プレイヤー」を目指した取り組みに挑戦し続ける覚悟である。私たちが創る道は必ずや多くの生産者に評価していただけるものであることを信じて進んでゆきたいと考えている。


「鏡」と「ドミノ倒し」

●私は現在いろんな方の協力を得て仕事をしているが、スタッフに対して「何でそこに気づかないのか」と感じることがある。●ある時、それは、私自身を観ていることであることに気づいた。スタッフの力を引き出すのは私の仕事。私の指示やまわしが、不十分なのである。●このことに気づいたことは幸いなことである。身近にいるスタッフは、私の「鏡」でもある。私が嘘をつけばスタッフも嘘を付くようになるし、私が言い訳すれば、スタッフも言い訳するようになる。それはあたかも、「ドミノ倒し」の様でもある。最初のドミノ牌を倒すのは常に私である。●「鏡」をありのままに観て、好循環を生み出す最初のドミノ牌を倒すこと。それが私のなすべき仕事である。


「技術」に対する人の適応性

●「技術」に対する人の適応性は、色々である。
●今日は、あることに気が付いた。
●ある技術に対しての人の向かい方が3通りあるということ。
1)一つは、説明書を読んでもその技術を理解できない人。
2)もう一つは、説明書を読んで理解できるがそれ以上のことには関心を持たない人。
3)そしてもう一つは、説明書を読まなくても理解でき、逆に自分で説明書の内容を作り出してしまう人。
●上記の1)〜3)のタイプでどのタイプが良いとか悪いとか言う問題ではない。単に、そのようなタイプに分けてとらえることが出来ることに気が付いただけのこと。すべてのタイプの人が、技術の恩恵を受けて幸せになること、それが私の関心事である。


人が関わることで生まれる美しさ

●津市にある曹洞宗のお寺、四天王寺で、座禅をさせていただいた時の話。座禅、作務の後に庭園を眺めながら副住職とともにお茶と茶菓子を頂く。目の前にある庭園は美しく、日々移り変わる景色でもある。その美しさは、白神山地のブナの原生林の美しさとは異なるものである。庭園の美しさ、それは、適度に人の手が加えられたところにある。毎日の作務の積み重ねがあってその美しさは保たれるのである。
●5月16日〜22日までの間、参加者4人でジャグロンズブートキャンプを開催した。ハードな肉体労働とハードなミーティング、そして秘湯での癒し、この3本柱からなるブートキャンプ。4日目は、朝5時からの農作業。地域の地主さんから新しくお借りした美郷町にある異なる二つの畑(合計20アール)に、4人で畝をたてた。桑を持ってのマルチ張り土寄せ作業は久々のハードワークである。作業に当たった二つの畑は、大きく表情が異なった。一つは、耕作放棄地であり、作畝がしにくくいうえ、クワを使っての作業も非常にたまどった。なんかゴミの混ざった土をいじっているような感覚である。もう一つの畑は美しいまでの外観で、土の一粒一粒が心に何かを訴えてくるようである。なんか食べてしまえるような気がする土である。黒ボク土壌のその畑は、昨年亡くなった藤原家の本家のおじいさんが丹誠込めて耕作していた畑である。
●美しい庭園と美しい畑の共通点、それはこまめに人の手が加えられたところにある。自然と人の営み(人工)の調和。それが、この美しさの本質であろう。また一つ農業のすばらしさを発見したような気がする。


忙しい!!

●忙しい!!今、多くのことを並行して処理する必要に迫られている。一つのことをとことん追求するのとは全く違ったやり方をしなければならない。●しかし、あまり多すぎることを分散して処理すると、一つ一つの仕事が希薄になり生産性が低くなり、その先にあるのは「空っぽ」のような気もする。●現在の状況は私自身にとってありがたいことであり、考えるきっかけを与えられているような気もする。●空っぽにしてはいけないこと、それは、「ほうれん草づくりを通して農業の可能性を世に示すこと。」おかげさまで、「益荒男ほうれん草」に関する問い合わせも増え、これから「兜の緒を締める」必要を感じている。●今の状態で安心して仕事ができるのは、生産現場を担当してもらっている倉光君のおかげである。彼の存在には改めて感謝している。●いや、ほうれん草づくりに限っては、もっと多くの力を頂いている。地域の力である。ポパイズガーデン安濃津拠点のある津市安濃町太田地区のみなさんには、ほうれん草を作り始めたときから、大変お世話になっている。地域のみなさんに応援を頂くことは農業を行う上でそれ以上に幸せなことはない。いつか地域のみなさんにお返しができるような、そんな農業をすること。それが私たちの思いである。


時代の波乗り

●今日のガソリンスタンドのレギュラーガソリンの値段は、108円/L。半年前に180/Lであったのが、懐かしく感じられる。
●世の中、じっくりじっくり変化している。変わらないものがあるようでも実はゆっくり変化している。
●最近は、急な変化も多いようであるが、つねに悪いことばかりは続かないし、いいことばかりも続かない。
●世の中の変化の波に乗って楽しむこと。それが人生の楽しみ方のような気がする。


寒くなりました

●紅葉も深まり、だいぶ寒さが増してきた。
●今日の朝は、身体に熱気がみなぎっていた。ファンヒーターの温度計で調べたら室温は9度、しかし全然寒くない。先日は、室温10度でかなり寒さを感じたのだが・・・・暖かいところから急に冷えるのが寒く感じる原因なのだろう。真夏はクーラーが効いた20度の部屋がすごく寒く感じるように・・・
●いよいよ、身体も冬モードに入ってくれた感じがする。去年の冬は、室温、5度までは、全然寒さを感じることなく過ごすことができた。さすがに5度以下になるとファンヒーターが必要になったが・・・
●畑のほうれん草も、一時急に冷えたので、面食らっているところだろう。急激な変化は何にでもあまり良くない。徐々に徐々に変わってゆけば、安全に変われるのだと思う。いわばソフトランディングの変化である。
●ハードランディングな人生を歩んでいる僕がこんなことを言っているのもちょっと皮肉なことではあるが、ハードランディングは、刺激的で危険で、そして、何かを壊したり、失ったりすることを伴う。ちょっとタフネスとサバイバル能力が必要な方法である。ソフトランディングは、多くの人に受け入れやすい方法である。物事を良い方向へ変えてゆくためのソフトランディングの手法、これも、僕がこれから学んでゆかなければならないことのひとつである。
★昨日はほうれん草祭り(ほうれん草の直売会)に、大変多くの方に来ていただきました。この場をかりてご挨拶させていただきます。ありがとうございました。


時間のデットスペース

●今日は、久しぶりに、朝から自分のスタンダードな、規則での1日を始めることができた。
●日の出を見ながらの作務は、気持ちがいい。
●ところで、収納スペースなどを考えるとき、よく、デットスペースの有効利用が賢い収納術として紹介されることがある。デットスペースは、文字通り、「活用されていない空間」のことである。
●ここ数日、生活してきた中で気づいたこと。それは、一日の中での「時間のデットスペース」の存在である。銀行での駐車場待ちや、ATM待ちも「時間のデットスペース」、銀行の係りの人に聞いたところ、朝の9時から10時が最もスムーズな流れで利用できるそうである。銀行は、この時間に利用することで30分は「時間のデットスペース」をなくすことができそうである。
●それよりも僕にとって最も効率の悪い時間帯は、夜である。食事をしてから、うとうとしたりしているうちにあっという間に、3時間4時間が過ぎてしまっている。「水木しげる」さん風に表現したら、何か時間を盗みにくる妖怪「時間ぬすみ(勝手に僕が名付けました)」がいるようでもある。
●この妖怪は、一人暮らしの夜に出て来やすいので、現在、独り身で深草庵での修行中の身である私にとっては大きな問題だ。一日の疲れがピークに達しているからなのだろう。食事を済ませて、風呂入って早くねる。これが最も適切な妖怪「時間ぬすみ」対策であるように思う。
●もっとも、この妖怪「時間ぬすみ」は、家族の団らんに弱い。家族そろってのひとときの場にはあんまりこの妖怪は現れない。なぜって、その時間は、もはや無駄な「時間のデットスペース」ではないのだから。


早起きの習慣をつける方法

●秋も深まってきました。
●風邪ひきさんも、ちらほら見られます。
●朝布団から出たくないときがありますよね。
●目覚まし時計がなっている。さっと、布団から飛び出して目覚まし止めてまた布団へはいる。
●そこが、運命の分かれ道。
●布団から出て、また布団に入りたいのは、体温が下がっているからです。
★布団に戻る前に思い切って、作務(そうじ)をしてみました。
★外の空気を吸いながら、玄関を掃く。そして、床をぞうきんがけしてみました。
★15分ぐらいで身体はぽかぽか、身体が目を覚ましました。
★15分早起きするだけで、朝食が美味しいし、気持ちもいい。何か良いことが起こるような気もします。
★早い時間に食事を美味しく頂くことで、その日の仕事に余裕を持って臨めます。
★早起きしたいけど出来ない方、是非一度早朝の作務の実践をお勧めします。


朝の作務(掃除)

 
●朝の掃除と夕方の掃除に大きな違いがあることに気が付きました。
●家の造りが、朝日が射し込むようにできています。
●ちょうど朝日が射し込むと、板張りの廊下の塵に光が当たり、その陰が長く尾を引きます。
●朝は塵がよく見えます。そして、掃除の後のさわやかさを感じることができます。
●夕方に、玄関先を掃除しても、その余韻は闇の中に包まれてゆきました。
●日の出と共に、始める朝の掃除には、何か神秘的なものすら感じることができます。


玄関を掃くことで見えてきたもの

 
●朝起きて、毎朝玄関前をはきます。
●毎日、ほぼ同じ分だけ、塵が集まることに気づきました。
●今日どれだけ一生懸命きれいに掃いても、また明日、同じ分だけ塵が集まります。
●「ちりも積もれば山となる」とは、こういうことなのかと気づきました。
●毎日の積み重ねの意味を知ったように思います。


「作務」の実践

 
●早速午後は、作務の実践。
●みんなで駐車場の草刈りをしました。
●かなり広大な駐車スペースは草の刈りごたえがあります。
●すっきりした駐車場を観た、近所のおばあちゃんが、「きれいになったね」と声を掛けてくれます。
●作務の実践は、自分たちだけではなく、周りの人にもいい気持ちを感じていただけるようです。
●夕方、乾いた草に火をつけると、あっという間に燃えて灰になりました。今日は、よく乾燥した一日でした。


「作務(さむ)のこころ」

 
●今日、「作務」と言う言葉の意味を知りました。作務とは、あの作務衣(さむえ)の作務を意味します。
●具体的に説明すると、作務とは、禅の修行の一環であり、掃除を中心としたお寺の環境整備のことを言います。
●今日は、先日「座禅入門」を体験した四天王寺http://www.jagrons.com/archives/2008/09/post_360.htmlの門をたたいたところ、座禅のあとに作務を経験させていただきました。
●座禅や作務は、現在の私がこころから求めているものを掴むための一つの通り道のように思います。5Shttp://www.jagrons.com/archives/2007/12/post_248.htmlの実践にもプラスに作用すると感じています。
●「こころ」と「からだ」と「経済」が満たされるようにするための「環境整備」の実践、それが「作務」であるように思います。常に「作務のこころ」をもって生活していきたいと思います。
●掃除のように当たり前のことを当たり前に行う。それが、結構難しいのですが、強い思いを持って、日々一つ一つを積み重ねていくことが理想や夢の実現につながるのではないかと思います。今日は、何かまた一つ良いきっかけを掴んだように思える一日になったように思います。


心を澄ましてじっくり観るとみえてくる

●ものを観るということは、奥深い。
●昨日までの「トカゲ」くんに関する投稿記事について、読者の方から「トカゲくんは何かを伝えたいのではないですか」とのコメントを頂いた。
※(トカゲ君の記事については文末に示した5つの投稿文をご覧ください)
●それまでの僕のトカゲ君に対する観察の仕方は、少しの疑問はもちながらも、トカゲ君が「遊びに来た」というように主観的(能動的)な見方をしていた。
●@)トカゲ君が4日続けて現れたこと、A)読者の方からのコメント、B)それに、トカゲが一瞬見せたへたった仕草。この3つの要素が、僕のトカゲ君に対する状況把握を180°変えることになる。客観的(受動的)見方への変換ということもできよう。

●ものを観るということは、奥深い。
●情熱的な人間は、主観的にものを観ることが多いように思う。そのエネルギーは、その強さ故に本来の姿を変えてしまうことすらあるように思う。これは「愛」の要素である。
●一方で、冷静な人間は、じっくり客観的にものを観ることが得意である。そのスタイルは、その対象がどんな状態にあるか、なにを求めているかを汲み取って、その対象に最も適切な対応をとることができよう。これは「慈悲」の要素でもある。

●ものを観るということは、奥深い。
●トカゲ君の一件で、僕のものの見方の移り変わりを知ることができた。
●主観的→客観的、愛→慈悲への変化である。

●世の中、対局の要素が、うまく絡み合っているとことにおもしろさがある。
●自分の中に軸をもちながら、2つの要素をバランスよく保つこと、組織にも対局の考えを持つ個人が混在しているところに可能性がある。
●対をなす要素が存在すると言うことは、「中庸」が存在する大前提なのだから。

■トカゲ君の記事その1:http://www.jagrons.com/archives/2008/09/post_334.html
■トカゲ君の記事その2:http://www.jagrons.com/archives/2008/09/post_337.html

■トカゲ君の記事その3:http://www.jagrons.com/archives/2008/09/post_343.html
■トカゲ君の記事その4:http://www.jagrons.com/archives/2008/09/post_344.html
■トカゲ君の記事その5:http://www.jagrons.com/archives/2008/09/post_345.html